うちの夫は冷蔵庫を開けたことがない。愛すべき合理的夫。
university of Tokyo。
この表記は英語としてあまり正しくないらしい。
university of 〜 と表記するのはかのT大くらいじゃないかなぁ、と夫が言っていた。
そんなに興味がなかったのでなんであまり正しくないのかは聞かなかった。
いつか書くけれど、夫の話を深く追究すると後悔することが多い。
ところで、
夫と出会って約7年。
結婚してもうすぐ5年。
うちの愛すべきT大卒夫は、冷蔵庫を開けたことがない。
食器洗い機を開けたことがない。
キッチンの収納を開けたことがない。
なんなら後者の二つに関しては触ったことがないかもしれない。
それは必然的に家事をしたことがないということを意味するわけで。
いや、「家事をしたことがない」のレベルは彼に使う表現としては些か高尚かもしれない。
冷蔵庫を開けたことがないから、夫は自分で買ってきた食べ物を食べることができないし、
食洗機を開けたことがないから、夫は洗い終わったコップが見当たらない時水を飲むことができない。
私は、夫が食べるものを、夫の視界に入るところに用意して、
コップは洗い終わると見えるところに一つ置いておかなければ、夫は飢えてしまう!と危機感を覚えた。
(飢えたことはないけど
これだけ聞くと、twitterに溢れている家事をしない夫への奥様からのクレームと変わらないけれど、
私は夫が家事をしない、いや、そんなレベルじゃなくて、
自分で人間として生きていく最低限の食事と水分補給を自力でやらない夫に対して、特に不満はない。
そりゃ、暮らし始めた当初、何にもしない、本当に何もしない夫に腹が立って、
自分自身もハードワーカーで、おまえの面倒なんて見てられるかぁぁぁぁぁ!!!ってブチギレて彼の古いPCのモニターをぶんな(ry
・・・とにかく夫は何もしない。
仕事と自分自身の勉強以外、何もしない。
ここでさらに奥様方を怒らせるポイントとして、
「俺は仕事して稼いでやってるんだから家事くらいしろや!」的な夫さんの態度があると思う。
我が宇宙人夫は、その発想ではない。
「自分で冷蔵庫からごはんを調達しなくても、外食すればごはんは食べられるし、
外に行けばお水が飲める。
だから家のどこに食べ物が存在して、何が食べられるものなのか確認したり、コップの場所を把握して、またはコップを洗う必要はないよ。
死なないし。」
死なないし。
死なないし。
そう、夫の物事の帰結はこれである。
死なないし。
「そんなね、冷蔵庫に何があるとか、コップはどこかとかね、
そんなこと考えるより、違うこと考えた方がお金になるんだよね。死なないし。」
なんて極端なやつなんだろう。
いつだったか、腹が立ちすぎて夫のPCモニターをぶん投げようとしていた私は、
そこでハッと気が付いた。
夫は何もしないけれど、そもそも私に要求したことがあっただろうか?
仮にその要求があったとしたとしよう、
その要求を断れば私は殺されたのか?死んだのか??
いや、死なないし!!
私はPCモニターを投げることなく、そっと床に置いて無事賃貸マンションの窓ガラスを割らずに済んだ。
夫はとても頭のいい人。
確かに夫に冷蔵庫の中身、コップの場所を記憶させて貴重な脳の場所を拝借するより、
代わりに何か仕事になる物を詰め込んでもらった方が家庭は安定するだろう。
終局的にそれは私の幸せにも繋がるのだ。
と、思えるようになって、
家の家事一切、および夫の生命維持のサポートを頼まれてもいないしやらなくても死なないけど、私はやっている。
夫は私がいなくても死なないけど、私と一緒に暮らしている。
ゼクシィが「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」と言い出す時代。
やらなくてもいい、やらなくても死なない、やらなくても幸せになれる。
よくよく考えてクスッと笑ってしまった。
コップを洗うことさえ、死なないからやらないという合理的な夫が、
なぜしなくても幸せになれるのに、面倒なことが多い結婚を選んだのか。
頭のいい人は感情が欠落しているとか、人格が破綻しているとか散々言われてきたけれど、
東大卒の私の夫は合理的だけど愛すべき人なのだ。
ああいとかなし。
宇宙人との暮らし方。
夫は4度戻ってきた。
朝、「行ってきます」と玄関のドアを開けて、4度。
1度目、玄関のドアが開かれた時、「またかしら」程度の気持ちで私はマスカラを塗る手を止めなかった。
すぐに夫は「行ってきます」と言って出て行った。
二度目。
玄関のドアが開かれたのと同時に「え〜っと・・・」と呟く夫の声が聞こえた。
私はまだマスカラを塗っていた。さっきと同じように私は手を止めなかった。
数秒後、夫は再び「行ってきます」と言った。
3分ほどして。
また玄関のドアが開いた。さすがに私は訪問者があったと思った。夫以外の。
でも夫だった。
どうしたの、と一応聞いた。
大丈夫、大丈夫、みたいなことをぶつぶつ言いながら夫は玄関と書斎を2度ほど往復して、4回目の行ってきます、を言って出て行った。
そして3分後。
「ごめん!ベッドの上のairpods取って!」
ドアが開くともう夫は靴を脱いで玄関を上がることなく、洗面所にいた私に声をかけた。
私がそれを渡すと「ありがとう、行ってきます」と言ってまたまたまたまた出て行った。
次に戻ってきたのは8時間後だから、無事に夫は仕事を済ませて来たと思う。
ところで、
なぜ、4回も戻ることになるのか。
なぜ、3回目でairpodsの忘れ物に気づかなった?
毎回几帳面に「行ってきます」を忘れずに言えるのに?
さすがに4回戻ってくるのは珍しいけれど、夫は一度の「行ってきます」で本当に出かけるのは稀である。
だいたい1度は戻ってくる。
こんなことは日常の、夫との生活の中のほんのほんの、ほんの微かな塵みたいな一部であって、
私の夫は少し風変わりで奇妙なところがある。そして面白い。
funnyじゃなくてinterestingの方。
夫はいわゆる日本の最高学府、某T大卒のとても頭の良い人間である。
彼に任せておけば日々の難しい出来事、仕事、人生の山や谷まで、
まるでただ穏やかな波に乗っているような気持ちでふわりふわりと乗り越えて行ける。
ただ、絶望的に期待してはいけない部分も持っている。
よく、頭のいい人は人格が破綻しているとか、感情が欠落しているとか言われるけど、
それは別に頭が良くない人でもそういう人はいるし、まぁそういうこと。
ただ、殊更頭のいい人がそれらを指摘されやすいのは、ただひたすらに彼らが合理的な人間だから、かもしれないと思う。
そんな頭が良くて合理的、なのに絶望的にダメな部分もある、
愛すべき奇人、宇宙人な夫との日々の暮らしをこれから少しずつ書き綴って行こうかと。
ひとつ、予め言っておくと、
T大卒はこうだ!っていう分析ブログではないし、
T大万歳!でもT大ありえない!でもなく、どちらの立場を取っているわけではありません。
ただ、T大卒というひとつのアイデンティティを持つ夫との日々のはなし。